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選挙について思っていたこと [私的な雑感]

本日は選挙について、3年前から思っていたことを語ってみます。

といっても、私の専門は政治ではないので、万人にとって正しい意見であると主張するつもりはありません。


私は、以前から、国の運営はF1のようなカーレースに例えてみることができるのではないかと、思っていました。
車のドライバーが与党、メカニックは官僚、エンジンや車体などは企業や国民、というように例えることが妥当でしょう。他の国であれば,(憲法改正などで)車のグランドデザインを変更できるわけですが、日本の選挙はドライバーの交代でしかありえません。

3年前、民主党は、とにかく、政権を交代すれば、全ての問題は片付くかのような主張をしていました。
民主党が指摘していたのは、自民党の長期政権下で問題となった国のあり方で、車体やらエンジンやらそういった構造全体からきている問題である、という主張だったのだと思います。
民主党は、今後の政権をとった後、何の施設も経験も研究もなしに、車の構造からエンジンから何から何まで再度、設計する、というように主張していたように私には思えました。
今から過去を振り返れば、彼らが、通常の(といっても天災や経済の動向などの悪条件が重なったわけですが、それでも、そういうことは言い訳にはならないのが政治の辛いところだと思います。とにかく)レースを行いつつ、こういった構造の取り替えを行う能力はもっていなかったことは悲劇でした。
日本国民は、彼らに期待して、日本をピットインさせたのですが、天災などへの対応はまったく、彼らの眼中にはなかったのではないか、と思えます。

これは、民主党の能力の低さもありますが、私自身は、日本の政治形態や国民性が、こういったグラウンドデザインの変更といった事態に対応できるような形になっていないことに問題があるのではないか、と思えます。憲法改正については、私自身も抵抗を感じますし、他の人もそうではないでしょうか?
つまり、工場やら研究施設やらを使用して、グラウンドデザインを変更する柔軟性が、国民性としてかけているように思われます。

今のメカニックは自民党の政権が育ててきたものです。したがって、彼らなら、ある程度の意思疎通は可能でしょう。他の野党は、グラウンドデザインの変更を行うための具体的スケジュールを政策に示しつつ、選挙に臨むべきでしょう。そういった野党が存在しないことが日本の悲劇なのかもしれません。

(政策以外選択する条件はないのに、政策は問題ではないかのような発言を行った某政党は国政における存在意義が私には分かりません。)
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